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大阪地方裁判所 昭和27年(ワ)3944号 判決 1958年7月09日

原告 寺田菊造

被告 国

訴訟代理人 今井文雄 外二名

主文

被告は原告に対し、金二百九万三千六百五十円、及びこれに対する昭和二十七年十月八日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。

本判決は原告勝訴の部分に限り原告において金六十万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

被告において金六十万円の担保を供するときは前項の仮執行を免れることができる。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し(一)金二百九万三千六百五十円及びこれに対する昭和二十七年十月八日以降完済迄年五分の割合による金員を支払。(二)金二百三十五万八百円及びこれに対する同年十一月十一日以降完済迄年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用はすべて被告の負担とする」との判決、並びに右(一)の請求につき仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

第一、(1)  原告は別紙目録記載の機帆船三幸丸の所有者であるところ、昭和二十五年八月五日訴外岩後繁信との間に、契約期間を同日より同月二十日までとする傭船契約を締結し、自ら船長として、右岩後繁信から委託された雑貨約二十屯を大阪港尻無川中ノ渡川岸において積載し、右岩後ほか三名を便乗せしめて、同月十日午前九時二十分頃種子島西之表に向つて出帆した。ところが大阪港水上警察署は該積荷は右岩後繁信がひそかに南西諸島に密輸出しようと企てているものであることを察知し、これが検挙のため右三幸丸が尻無川検問所に差蒐つた際、出港停止を命じて、同船を右警察署前の船たまりに回航せしめ、同所一文字防波堤に繋留碇泊せしめた。

(2)  而して碇泊と同時に前記積荷は全部陸揚され、これに関係した前記岩後繁信ほか三名の便乗者はいずれも関税法違反の罪の疑いで前記警察署に連行され、原告も亦共犯の嫌疑で取調を受け、三幸丸も右犯罪行為の用に供された船舶として、同月二十日頃前記警察署前の船たまりにおいて同警察署員の差押を受け、該被疑事件は右警察署員より大阪税関官署に引継がれ、同税関官吏玉田正雄が差押担当者に指定せられて、同訴外人において右船舶を監守保管することとなつた。然るに右玉田正雄は右船舶を監守するにあたり特に管理人を選定せず、船長たる原告以下四名の乗組員をその侭船内に居住せしめ、かたがた船舶の保管に当らしめることとしたので、逃亡の懸念なきよう、昭和二十五年八月二十三日頃原告の拒否を排し、強いて主機関の噴油弁を取外さしめて、これを大阪税関官署内に保管し、乗組員側より機関運転の必要上申出があつたときに限り、一時使用を許可することとした。かくして三幸丸は前記船たまりに碇泊せしめられたまゝ、前記被疑事件は税関官吏から大阪地方検察庁検察官へ告発されたので、これと共に三幸丸も同庁検察官に引継がれたが、同庁において取調べが進められた結果、原告は同年四月三十日嫌疑なしとの理由により不起訴処分に決定した。そこで原告はその後は只管三幸丸の還付がなされるよう奔走していた。

(3)  ところが同年九月三日朝、当時本州中部に向つて漸次接近しつゝあつたジェーン台風の影響を受け天候極めて険悪化する兆候が現われて来たので、原告は万一の場合を憂慮し、三幸丸を安全な場所に避難すべく、同日午前八時より九時頃迄の間に、大阪税関に出頭して先に取外された噴油弁の返還を求めたところ、当日は生憎休日であつたため、前記玉田正雄は登庁しておらず、当直員に対しても全然右噴油弁保管に関する事務の引継をしていなかつたので、遂に噴油弁の所在が判明せず、その返還を受け得なかつた。そこで已むを得ず午前十時頃帰船し、乗組員を指揮して三幸丸の繋索を増強し、荒天に対する準備を整えたが、風力は刻々勢を増し、同日午後一時三十分頃秒速二十八、一米の強南風となつたため、突如船尾の繋索が切断して、船体は前記水上警察署前の岩壁に押し流されたので、原告は同岸壁に飛び上つて船首を岸壁に繋ぎ止めようとしたが、風浪に遮られて果し得ざるうち、三幸丸は原告を陸上に残したまゝ見る見るうちに錨を曳きずつて安治川北岸に押し流され、桜島岸壁に接近したので、機関長御手洗順市以下三名の乗組員はいずれも海中に飛び込み、泳いで陸上に避難したが、同船舶はそのまゝ右岸壁に沿つて上流に押し流されたのち、日立造船株式会社桜島工場横の桜島堀に流れ込み、同堀の東岸において、無人のまゝ船首を南々東に向け漂着していた機帆船黒潮丸の右舷側に接舷して漸く停止した。かくして同日午後二時三十分、風力少しく衰えた頃、右御手洗順市は避難地より桜島堀を泳いで三幸丸に辿りつき、炊事室で休憩中、間もなく隣接船黒潮丸の機関室と覚しきところから、火煙が立ち上るのを発見し、単身消火を試みたが、その効果なく、火勢は折柄南々西の風に吹きあおられて次第に激しくなつてくるので、かくては三幸丸の類焼も免れえないと察し、右黒潮丸から三幸丸を引離すことを考えたが、前記の如く噴油弁は取外されて機関は運転し得ない状態となつていたので、如何ともなし難く、火は遂に三幸丸に燃え移つた。そこで同人はその頃偶々帰船した他の二名の甲板員等と協力して、極力消火に努めた結果、同日午後五時頃前記黒潮丸の焼失沈没と前後して、漸く鎮火したが、右火災により三幸丸の船倉より前方の水線上は殆んど焼失するに至つた。

(4)  右の三幸丸の焼失は、前記差押担当者玉田正雄がその職務上の権限により、同船の噴油弁を取上げながら、強力な台風の襲来に際し、何等同船の安全保持に適切な処置を採ることなく、漫然これを放置したという職務執行上の過失に基くものである。即ち、前記台風の本邦中部への接近については、前夜来ラジオや新聞紙上等で報道せられ、天候が極めて険悪化することは何人も充分予測し得たところであり、台風が襲来すれば、運航不能の船舶は、沈没、破壊、火災による焼失等の危難を蒙るおそれのあることは、これまた充分予測せられるところであるから、三幸丸の噴油弁を取外し、大阪税関官署内に保管していた差押担当者玉田正雄としては、仮令当日が休日であつたにせよ、自ら登庁するか、若しくは当直員に連絡して噴油弁の返還を可能ならしめ、同船を運航可能状態に置き、台風に伴う一切の危険を回避せしめる途を開き、以て事故を未然に防止すべき、職務上の注意義務があるにも拘らず、右玉田正雄は右注意義務に反し、右の措置を怠つたという過失により、噴油弁の返還を不能とし、同船の運航能力を剥奪したまま台風に直面せしめたものである。そして、これがため同船は、原告がこれを右同日午前中に安全地帯である大津川三軒家堀に避難せしめ得た筈であるにも拘らず、これを果し得ず、また同船が隣接船黒潮丸の火災発生に際し、容易に同船との接触を解き、類焼の危険より離脱せしめ得たにも拘らず、これをも不能ならしめたものであるから、右黒潮丸の発火原因は明らかではないが、その原因の如何にかかわらず、これより引火した右三幸丸の焼失と右玉田正雄の過失との間には充分因果関係がある。

(5)  右三幸丸の焼失により、原告の被つた損害は次の通りである。即ち、三幸丸の残骸は其の後大阪税関の許可を得て、同年十二月下旬大阪市港区南福崎町三丁目三番地松坂造船所迄曳航し、昭和二十七年六月二十三日大阪高等裁判所の判決確定に至る迄同造船所において保管されていたものであるが、漸く同年八月十日頃から右松坂造船所において修理に着工し、本件火災により焼失した船体の修理費として金百七十八万二千三百六十五円、損傷した機械の補修取替費として金三十五万二千九百六十五円、焼失並びに流失した船具の取付費として金四十五万三千八百二十円、以上合計金二百五十八万九千百五十円の費用を要したから、原告は右玉田正雄の過失により、これと同額の損害を被つたものである。

第二、(1)  次に、前記三幸丸は、前記の如く昭和二十五年八月十日大阪港水上警察署によつて出港を差止められ、大阪港内に停泊せしめられ、次いで同警察署員の差押を受け、事件が告発事件として大阪地方検察庁検察官に引継がれるに及び、検察官の差押の下に昭和二十七年六月二十三日の大阪高等裁判所の判決確定まで抑留せられていたものであるところ、大阪地方検察庁検察官が右三幸丸を差押えるについては、同船が密輸出被疑事件に使用された関係は、その基本となつた原告と訴外岩後繁信間の船舶利用の契約は、前述の如く傭船契約の名を用いているが、その内容においては原告自ら船長として三幸丸を運行することとなつており、且つ乗組員三名に対する給料及び食糧も原告において支給する建前になつていたもので、その実質は、原告自身が訴外岩後繁信から委託された荷物を大阪港から種子島まで運送する趣旨の所謂海上運送契約にすぎず、運送者は原告であつて右岩後ではなかつたものであるから、岩後等の敢行したといわれる右密輸出の犯行の供用物件とは見られないもので、元来、差押うべきものではなかつたのみならず、右契約は船舶賃貸借契約ではなかつたものであるから、三幸丸の占有はあくまでも原告のみに在つて、犯人とされる訴外岩後繁信に移転する筈はなく、従つて旧関税法第八十三条第一項の定める「犯人の所有又は占有に係るもの」、に該当せず、没収刑の対象にもなり得ないものであるから、仮りに原告に対する関係で犯罪供用物件と見られるとしても、原告自身に対する関税法違反被疑事件は昭和二十五年八月三十日不起訴処分に決定したのであるから、おそくともこれと同時に差押を解除し、直ちに三幸丸を原告に還付すべきであるのに、担当検事大坪貞五郎は右の差押の諸要件に留意することを怠り、三幸丸が前記被疑事件の犯罪供用物件であり、且つ被疑者である訴外岩後繁信の占有に属するものと即断し、従つて旧関税法第八十三条第一項に基き没収刑の対象になり得るものと誤解し、差押を解除せず、且つこれを所有者原告に還付しないまゝ、右岩後繁信を大阪地方裁判所に関税法違反により起訴し、前記大阪高等裁判所の判決確定(該事件は大阪地方裁判所において審理の結果、右岩後繁信に対し有罪の判決言渡しがあり、右船舶については岩後繁信の占有に移つていたものと誤認して没収の言渡しがあつたが、右判決は確定せず、従つて、同船の差押継続は何等正当化されることがないままに、同被告人が右判決を不服として大阪高等裁判所に控訴した結果、同庁においては昭和二十七年六月九日第一審の判決を破棄し、三幸丸の占有が被告人岩後繁信その他の共犯者に移転している事実は認められないとして、右船舶を没収する言渡はされなかつた)に至らしめたものであつて、右検察官による三幸丸の不法差押開始又は差押継続還付拒否の行為は当該事件の担当検事である大坪貞五郎の過失に基くものである。

(2)  右不法差押等によつて原告は左記の損害を被つた。即ち、三幸丸は別紙目録記載のとおりの機帆舶であつて、機帆船組合における公認滞船料は一日金三千六百円であるから、前記差押期間のうち少くとも原告が前記被疑事件につき不起訴処分に決定し、これにより同船の差押解除と還付のなされるべき日であつた昭和二十五年八月三十日より、前記裁判確定の日である昭和二十七年六月二十三日迄、六百六十三日分の滞船料は合計金二百三十五万八百円となり、原告は、これと同額の損害を受けたこととなる。

第三、右税関官吏玉田正雄及び検察官大坪貞五郎の前記各行為は、いずれも公権力の行使にあたる公務員がその職務の執行について、過失によつて違法に他人に損害を加えた場合に該当し、或はまた右は同人等の使用者たる被告国のための職務の執行につきなされた被用者の行為であるから、被告は国家賠償法第一条第一項、又は民法第七百十五条によりその損害を賠償すべき義務がある。

第四、よつて原告は被告に対し前記損害金のうち、第一の損害金二百五十八万九千百五十円の内金二百九万三千六百五十円と、これに対し、その請求訴訟である昭和二十七年(ワ)第三四二〇号事件の訴状送達の日の翌日である昭和二十七年十月八日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金、及び、右第二の損害金二百三十五万八百円と、これに対し、その請求訴訟である昭和二十七年(ワ)第三九四四号事件の訴状送達の日の翌日である同年十一月十一日以降完済に至るまで、年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだと述べた。

立証<省略>

被告指定代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決並びに被告敗訴の場合の仮執行免除の宣言を求め、答弁として、

第一、原告主張の請求原因事実中

(一)第一の(1) の事実は認める。

(二)第一の(2) の事実中、三幸丸の積荷が全部陸揚され、訴外岩後ほか三名の便乗者はいずれも関税法違反の疑で大阪港水上警察署(大阪市警)に連行され、原告も亦共犯の疑いで取調を受け、三幸丸も右犯罪行為の用に供された船舶として、右警察署前の船たまりにおいて、同警察署員の差押を受け、大阪税関官吏玉田正雄が差押担当者に指定せられたこと、右玉田正雄が三幸丸の船長原告ほか三名の乗組員をその侭船内に起居せしめて同船の保管に当らせ、かつ同船主機関の噴油弁を取外し税関内に保管したこと、三幸丸が原告主張の船たまりに留置せられたまゝ、大阪税関官吏から大阪地方検察庁に前記違反被疑事件が告発され、三幸丸も同庁検察官に引継がれたが、同庁において取調がなされた結果、原告は同年八月三十日嫌疑なしとの理由により不起訴処分に決定したこと、は認めるが、その余の事実は争う。同船の保管方法は原告の意に反して強行したものでなく、むしろ原告の申出を容れて採つた措置である。即ち、従来税関において関税法違反被疑事件により押収された船舶を警察より引継いだ場合の措置としては、必ず乗組員を下船させ、積荷を陸揚げした後、適当な管理人を選任したうえ、当該管理人をして風浪に安全な場所に曳航させ、その保管監守に当らせることとしたのであるが、本件の場合、原告及びその乗組員は身柄不拘束のまゝ取調べを受けており、同人等の住所が宮崎県或は大分県等遠隔の地にあつたので、同人等よりその居住場所として使用を許すことを懇願されて、やむなく同人等に保管させることとしたものであつて、かゝる措置より生ずるおそれのある船舶乗逃げの危険を防止するために、原告の承諾を得て噴油弁を取外したものであるから、右玉田正雄には何等非難さるべき点はない。

(三)  第一の(3) の事実中、昭和二十五年九月三日は日曜日であつたため訴外玉田正雄は登庁せず、またその前日までに当直員に対しても噴油弁の引継をしていなかつたこと、ジェーン台風のため三幸丸の繋索が切断し、大阪港内を漂流した末、黒潮丸に漂着し、三幸丸が火災により船体の一部を焼失したこと、そして火災当時南々西の強風が吹いていたことは認めるが、三幸丸の漂流の経過は不知、その他の事実は争う。右火災当時は、原告主張の如く南々西の強風が吹いており、三幸丸は黒潮丸より風上の位置に停止していたのであるから、三幸丸が黒潮丸より類焼を受ける筈はない。

(四)  第一の(4) の事実は争う。即ち(イ)原告主張の如き過失は存在しない。ジェーン台風に関し、近畿地方が充分警戒を要するとのラジオ放送のあつたのは、昭和二十五年九月三日午前四時のことであり、同地方に暴風雨警報の発せられたのは同日午前七時であつて、それ迄の天気予報は概ね同地方は台風の余波の影響を受けるという程度のものであつたから、その前日訴外玉田正雄が退庁するに際し、宿直員に対し噴油弁の引継ぎをしなかつたとしても、右訴外人には何等過失はなく、そのため台風の襲来前、原告に対し噴油弁を返還することができなかつたのは全くやむを得なかつたことであるから、右玉田正雄には何等責任はない。(ロ)次に過失と事故との間の因果関係も存しない。即ち、三幸丸が繋索を切断せられ漂流したのは、全く台風という自然力即ち不可抗力に基くもので、右台風による大阪港の船舶被害は大型汽船十六隻、小型汽船十一隻、艀船六百九十四隻、曳船百七隻の多数に上り、機帆船の被害も七十五隻に達し、全機帆船の三十四%に相当し、かゝる大災害の結果を見ても原告主張の過失がその損害に関係のないことが明白である。又台風の朝原告の求めにより噴油弁を返還すれば、避難可能の状況に在つたとの点も争う。又黒潮丸より延焼したとしても三幸丸が当時同船との接触より離脱可能の状況に在つたとの点も争う。三幸丸の機関は僅か焼玉機関五十馬力であり、同船は積荷なく浮上り、機関長は免状も持たず技術は確かでなかつたから、台風と激浪に逆らつて黒潮丸より離れることは到底不能であつた。さらにまた、右黒潮丸の発火は全くの偶発現象で、かゝる原因が介入した以上、本件事故は台風防止措置の懈怠とは無関係である。なおまた、三幸丸の保管方法は、前述した様に原告の求めによるものであるから、かゝる保管方法に伴う危険より生じた本件事故は、原告自らその結果を受忍すべきものである。また原告の主張通りとすれば、事故前日の九月二日に台風襲来を予知できたことになり、この場合、原告は同日中に避難措置を執り得た筈であつて、事故の結果は全く、かゝる措置を怠つた原告の過失のみに基因する。(ハ)然らずとするも、原告にも過失の存したことは明白であるから、過失相殺せらるべきである。

(五)  第一の(5) の事実中、三幸丸が大阪税関の許可を得て、原告主張の日頃原告主張の造船所に曳航されその主張の日まで右造船所に保管されていたこと、そして原告主張の日頃右造船所において三幸丸の修理に着工したことは認めるが、その余の事実は争う。

第二、(一) 原告主張の第二の(1) の事実中、原告に対する関税法違反被疑事件が原告主張の日に犯罪の嫌疑なしとの理由により不起訴処分に決定したこと、原告所有の三幸丸が原告主張の日より訴外岩後繁信の関税法違反被告事件の第二審判決確定迄差押(押収)えられ、原告に還付されなかつたこと、右事件を取扱つた第一審の大阪地方裁判所では三幸丸が被告人岩後繁信の占有に移つているものと判断して、右船舶を没収する旨の判決言渡をなし、第二審の大阪高等裁判所においては、訴外岩後繁信その他の共犯者等に三幸丸の占有が移転した事実が認められないとして、原告主張の日、その主張の如き判決言渡がなされ、該判決がその主張の日に確定したことは認めるが、右事件の担当検察官大坪貞五郎には原告主張の如き過失はない。本件船舶は当初大阪市警察官が犯罪捜査の必要上、刑事訴訟法に則つて、差押えたもので、その差押は適正である。そして、凡そ関税法違反事件においては、密輸出に使用された船舶は重要な証拠物件であり、その船舶が没収さるべきか否かを問わず、右船舶は当然差押えらるべきものであつて、原告に対する不起訴処分が決定しても、当時訴外岩後繁信ほか数名に対する関税法違反の嫌疑は益々濃厚となつていたのであり、しかも三幸丸は密輸出の用に供され、被疑者である岩後繁信ほか数名が密輸物件と共に右船舶を占拠していたと認むべき状況にあつたのであるから、右船舶は右岩後繁信ほか数名に対する関税法違反被疑事件の重要且つ必要な証拠物件であると同時に、没収刑の対象となりうると思料するに足る相当の理由があつたのであるから、大阪地方検察庁検察官が留置の必要を認め差押を継続したことは、公訴維持上当然の措置である。次に、一旦押収されたものは事件終結までその措置を継続するのが本則であり、還付はむしろ留置の必要のない場合に限り為されるべきものであるから、本件の場合においては、むしろ判決をまたずして還付することこそ検察官の任務に違背するものと云うべきであつて、検察官の右措置には何等違法はない。従つて、仮りに当初の大阪市警察官の差押に過失があつたとしても、検察官が右の還付をしなかつたことに過失はなく、両者の過失は別個に原因となるべきものであるから、差押の継続につき、検察官に何等の青任はない。

(二) 第二の(2) の事実は争う。三幸丸は原告の主張する昭和二十五年九月三日の火災により船体の一部を焼失して就航不能に陥り、この状態は少くとも訴外岩後繁信等に対する前記被告事件の第二審判決が確定する迄続いたのであるから、少くとも右火災以後も就航不能として滞船料相当額の損害賠償を請求するのは失当である。

第三、原告主張の第三、及び第四の事実は争う。と述べた。

立証<省略>

理由

第一、

一、原告が別紙目録記載の機帆船三幸丸の所有者であること、原告が昭和二十五年八月五日訴外岩後繁信との間に、契約期間を同日より、同月二十日迄とする傭船契約(但し、その法律上の性質はしばらく措く)を締結し、自ら船長として右岩後繁信から委託された雑貨約二十屯を大阪港尻無川中ノ渡川岸において積載し、右岩後繁信ほか三名を便乗せしめて、同月十日午前九時三十分頃種子島西之表に向つて出帆したところ、大阪市警、大阪港水上警察署は該積荷は荷主岩後繁信がひそかに南西諸島に密輸出しようと企てているものであることを察知し、これが検挙のため、右船舶が尻無川検問所に差蒐つた際、出港停止を命じて、右警察署前の船たまりに回航せしめ、右船舶を同所防波堤に繋留碇泊せしめたこと、原告、訴外岩後繁信外三名は、いずれも関税法違反罪の共犯者の疑で取調を受け、右船舶は右犯罪行為の用に供されたものとして、前記船たまりにおいて水上警察署員の差押を受け、大阪税関官吏玉田正雄が差押担当者に指定されたこと、右玉田正雄は右船舶の監守保管の方法として、船長以下四名の乗組員をその侭船内に起居せしめて同船の保管に当らしめると共に、乗逃防止措置として同船主機関の噴油弁を取外してこれを大阪税関内において保管したこと、同年九月三日は休日(日曜)であつたため、右玉田正雄は登庁せず、また同人がその前日までに当直員に対して噴油弁保管事務の引継をしていなかつたこと、右同日ジェーン台風のため三幸丸の繋索が切断し、大阪港内を漂流した末、黒潮丸に漂着し、三幸丸が火災により船体の一部を焼失したことは当事者間に争いがない。

二、次に成立に争のない甲第三、四、十四号証、証人玉田正雄の証言、原告本人尋問の結果を綜合すると、右玉田正雄は当時大蔵事務官として大阪税関監視部審理課処分係長の職にあつて、関税法による差押物件の保管及び処分の職務権限を持つていたものであるが、前記関税法被疑事件については、大阪税関は水上警察と共同捜査に当り、右三幸丸は水上警察署警察官より引継をうけ、玉田はこれが差押物件の保管の具体的方法として、通常の第三者による保管方法に代え、前記争ない事実の通り、被疑者たる船長原告本人を含む乗組員の船内居住を許し、同人等にこれを占有せしめるが、その航行を禁止し、乗逃げを防止する手段として、同船の噴油弁(ノズル)を同年八月二十日頃自己の命により所有者兼船長たる原告の意に反してこれを取外し、試運転、緊急事態その他正当事由ある場合は、申出により一時的にこれを交付使用せしめることとして、自己の直接保管に移し、これを大阪税関建物内の通常の保管場所である地下書庫に置かず、審理課室内の処分係事務官席の傍の金庫の脇に存置する方法を執り、同船を自己の責任において監守、保存したことを認め得べく、当時の関税法第八十六条以下の規定によれば、税関官吏は反則事件の調査につき、反則物件の領置、差押等の権限(強制処分を含む)を有することが明白であるから、右三幸丸の差押保管は、税関官吏玉田の右職務上の権力の行使に基いてなされたものと認めるの外はない。

そこで原告主張の過失の有無について按ずるに、成立に争のない甲第一乃至第六号証、同第七号証の一、二、同第十乃至第十四号証、乙第一乃至第三号証、同第七、第八号証、証人御手洗順市、同安藤豊助、同松坂政虎、同玉田正雄、同安部常雄の各証言、原告本人尋問の結果を綜合すると、同年九月二日午前十一時五十分大阪管区気象台発表の天気予報では、ジェーン台風は明朝、九州の南東海上に接近し、その後の進路は不確実であるが、北々東から北東に転向する見込みであり、今晩から明日にかけては西日本及び海上では風雨が強くなることが予想されるから、警戒を要し、今後の気象通報に注意ありたいことを、また翌三日午前四時のラジオ臨時ニュースでは台風は午前十時頃豊後水道から室戸岬の間に上陸し、北進する見込であり、近畿地方はこの余波で、南から次第に南東の風が強くなるから、充分警戒を要することをそれぞれ報じており、同日午前五時には、風雨特報を発し、明方から東乃至南東の風が強くなり、陸上最大風速十五米、海上では二十米に達し、雨を伴うから注意ありたい、と報じ、また同日午前七時には暴風雨警報を以て、台風接近し、午前十時前後には暴風雨となり、大阪湾沿岸地方は高汐の虞れがあるから厳重警戒を要する、台風は室戸岬から淡路を通り兵庫県を横切つて日本海に抜ける見込で、大阪地方では風速最大二十五米になるから厳重警戒を要すると報じ、その後同日中に台風情報を連続発表して、最大風速海上二十乃至三十米に達すべきこと、午後一時に神戸附近上陸見込なること、午後一時より二時にかけて厳重警戒を要すべきこと、午後一時十五分神戸に上陸し、北々東に進み、瞬間風速神戸四十米、大阪三十二米に達した等、刻々台風進行状況を報道したこと、ところが訴外玉田は、九月二日(土曜日)退庁時には、台風は大阪来襲のおそれはないとして、噴油弁の保管場所について宿直員への引継その他何等の措置を執ることなく、漫然帰宅し、帰宅後同日中、及び翌三日の天候の推移に対しても格別意を用いることなく、緊急登庁、電話連絡その他噴油弁保管の事務処理として緊急の必要に応ずる処置をも執らなかつたこと、(このうち、玉田が事務引継をせず、かつ、九月三日に登庁しなかつたことのみは前記の通り争がない)同月三日朝大阪税関監視部警務課員王見憲三が当直中、三幸丸船長原告本人が、船の緊急避難のため右噴油弁の一時使用方を申出でたので、審理課構内をも探索したが、事務引継のないため所在を発見できず、右申出に応じられなかつたこと、その時刻頃税関のランチはすでに避難開始していたこと、一方原告は、同月二日夜より天候険悪の兆候が現われて来たので台風襲来の場合を憂慮し、右噴油弁の一時返還を受けて、本件船舶を木津川三軒家堀の安全な場所に避難させるため、同月三日午前九時頃大阪税関に出頭し、約四十分余待機してこれが交付を求めたが、前叙の事情によりその交付をうけられなかつたこと、そこで原告は、やむなく午前十時頃帰船し、乗組員を指揮して繋索を増強する等荒天に備え、なしうる限りの措置を講じたが、風力は刻々勢を増し、同日午後一時三、四十分頃東風より南風に変り、大暴風雨となり、高潮も加つたので、繋索の切れた隣接船に押されて三幸丸船尾の繋索は切断し、船体は、前記警察署前の岸壁に押し流されたので、原告は同岸壁に飛び上つて船首を岸壁に繋止ぎめようとしたが、風浪に遮られて果し得ないうち、同船は原告を陸上に残したまゝみるみるうちに錨を引きずつて安治川北岸から桜島方面に押し流され、その間船内に居残つた機関長御手洗順市ほか二名の乗組員は、身の危険を感じて、泳いで陸上に避難し、同船は日立造船株式会社桜島工場横の桜島堀に流れ込み、同堀東岸においてさきに水上警察署前より同所に漂着し、乗組員が避難したため無人となつていた機帆船黒潮丸(船長山田時雄)の右舷側に接舷して漸く停止したこと、かくて同日午後二時三十分風勢稍々衰えたころ、機関長御手洗順市は陸上の避難地から桜島堀を泳いで同船に辿りついたところ、間もなく隣船黒潮丸の機関室と覚しきところから、火煙が立ち上るのを発見し、単身消火を試みたが、その効果なく、火勢は次第に激しくなつてくるので、類焼を免れないと察し、同船を黒潮丸から引き離すことを考えたが、噴油弁なく機関は運転し得ない状態となつていたので如何ともなし難く、火は遂に三幸丸に燃え移つたこと、同人はその頃偶々帰船した他の二名の甲板員と附近碇泊船乗組員の援助を得て、極力三幸丸の消火に努めたが、同日午後五時頃までの間に船倉より前方の水線上を殆んど焼失するに至つたことが認められ、証人安部常雄の証言中右認定に牴触する部分は措信せず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

そして右の如く、自己の職務権限に基いて差押船舶の保管(差押継続)に任ずる公務員たる税関官吏としては、噴油弁を取除いて自らこれを保管し、その航行能力を剥奪した船舶を単に港内に繋留したに止まる場合においては、その船舶の保存に必要な移動、航行の許否は専ら自己の手に握られており、しかも右の移動、航行の必要は、試運転、その他事前に予知、対処し得る事由に限らず、応急修理又は天災よりの回避の如き臨機の措置を要する事態に因り生ずべきことは極めて見易いところであり、しかも台風襲来のおそれのある時季に面しているのであるから、恰も船舶を直接保管している場合と同様、自ら常に応急事態に備え、船舶の即時移動を可能ならしめる様、噴油弁の交付を円滑ならしめるために、その保管や、出し入れに関する事務の手配、連絡に平素より万全の措置を講じておき、しかも、その具体的必要が生ずべき場合、即ち台風よりの避難を要すべき場合においては、台風襲来が必至でなくとも、少くともその襲来の可能性即ち具体的危険があり、その警戒の必要が一般に報知せられた如き場合にあつては、かゝる具体的危険からの回避措置を自他の手により事前に講ずるか、又はその危険の現実の到来に際して、その臨機の避難措置を自ら為し、又は他人をして為さしめる手筈を予め整えておくべき職務上の注意義務があるものというべく、この注意義務の存否は、右の如き船舶の保管方法の採用が、果して被告主張の如く被差押者たる原告の懇請を容れて為されたと否とには何等の影響なく、かゝる保管方法が適法な職務執行の具体的方法として採用せられたものである以上、右保管方法に対応する船舶保存の注意義務として当然に存在し、何等軽減又は免除せらるべきいわれはないものというべきところ、前記玉田正雄は、かかる注意を払うことなく、前認定の通り、平素より噴油弁の保管場所や出し入れの方法を職務執行の補助者乃至協力者たる大阪税関内の他の職員に明確ならしむべき手配を為さず、また前記昭和二五年九月二日の台風前日の退庁時においても、台風襲来の危険の存在と、警戒の必要について何等の顧慮を払わず、従つてその必要が生じた場合における噴油弁の保管、出し入れについて同庁の職員に何等の引継措置をも執らずして退庁し、又同夜から翌朝に至る天候推移についても、右噴油弁の処理即ちこれに支配される保管船舶たる三幸丸の危難防止について何等格別の事務的処置を講じなかつたため、その結果として翌三日朝の原告の右噴油弁交付要求に応じ得ず、三幸丸を危急時に運航を可能ならしめ以て危難を回避する途を失わしめたものであるから、右玉田正雄は、同人が職務の執行として為した三幸丸の差押継続即ち保管行為に伴う平時及び異変時における注意義務を怠つたという職務上の過失により、その保管物件を暴風に対し、殆ど無防備にて重大な危難に遭遇せしめたものというの外はない。そして、右の過失は、その危難即ち台風の襲来が不可避の天災であつても、その損害からの回避がその当時の状況に徴して絶対に不能であつたことの立証がない限り、たとえ被告主張の通り他に相当多数の船舶が遭遇したとの事実があつても、反面危難を免れた船舶も多数存したことは容易に推知せられるところであるから、尚前記過失は右三幸丸の危険回避の原因を為したものと認めるを憚らず、右危難を以て全くの不可抗力として、その損害の絶対唯一の原因をなすものとして、前記過失の帰責原因たることを否定することは許されない。

そして又右の過失は、運航不能の船舶を暴風中の海上に放置し、衝突、転覆、坐礁等の一切の危険に曝したと共に、他の危害の接近や接触からも回避、防衛するの一切の途を閉じた結果を招来すべき重要かつ根本的な原因を為しているものであることは、極めて明白なところであつて、これら暴風中に生ずる一切の危難に対し、右過失は相当因果関係を有するものといわねばならない。これを本件について見るに、前記の過失がもし存在せず、三幸丸が少くとも前記九月二日の朝運航能力を付与せられていたとすれば、その時間の許す限り遠方の安全地帯を求めて移動し、以て台風による被害をできる限り少くし得たであろうことは容易に推測し得るところであつて、被告主張の如く避難の余地が全然無かつたとは考えられず、又、証人安部常雄の証言によるも、かゝる事実を確認することはできない。さらに、三幸丸が運航可能であれば、隣接船黒潮丸の発火という第二の危害の発生に際しても、風力の衰えた時であつたから、当然同船との接触を解き、火災の延焼を免れ得たであろうことは、これまた推察に難くなく、これが全く不能であつたとの反証は存しない。そうすれば、隣接船黒潮丸の火災が仮りに被告主張の如く全くの偶発現象であつたとしても、(一般には、暴風中には往々火災が発生し、又は発生した火災は往々消火し難く拡大する例が多いことは見易いところではあるが)依然風力に対し無抵抗で漂流する船舶の遭遇することあるべき一切の危険中に包摂せられ、因果関係を中断することはないものといわねばならぬ。そうすれば被告は税関官吏玉田正雄の右過失によつて、右船舶三幸丸の一部が焼失したことにより、原告の被つた損害につき、国家賠償法により賠償すべき義務のあること明からである。

三、そこで進んで原告の本件船舶の一部焼失による損害の額につき判断すると、本件船舶は右火災後大阪税関の許可を得て昭和二十五年十二月下旬大阪市港区南福崎町三丁目三番地松坂造船所まで曳航され、昭和二十七年六月二十三日大阪高等裁判所の判決確定迄その侭右造船所において保管されていたが、同年八月十日頃から右造船所において修理に着手せられたことは当事者間に争なく、右事実と成立に争のない甲第三号証、証人松坂政虎の証言により成立を認めうる甲第二十号証、原告本人尋問の結果により成立を認めうる甲第十八号証の一、二、第十九号証、第二十二号証及び検甲第一号証、証人安藤豊助の証言により成立を認めうる甲第二十三号証、証人松坂政虎、同安藤豊助の各証言、原告本人尋問の結果を綜合すると、本件船舶三幸丸は五十馬力焼玉エンジン附木造帆船(総屯数五一、四八屯)で、原告は昭和十七年四月頃他より買受け、右船舶は昭和二十四年頃広島県因島ミハタ造船鉄工所において経費金百二十四万四千百二十円を投じて殆んど新船同様に修理されていたものであるが、本件火災により機関室を残し、船倉より前方の水線上(船体の約半分)を焼失し、そのため、前記松坂造船所において船体の七割乃至八割が修理(昭和二十八年六月十日完成)され、その修理費用として金百九十五万八千五百円を同造船所より請求され、結局内金百七十五万円を支払つたこと、同年六月二十日大阪市西成区津守町八百六十六番地橋本鉄工所に対し機械、同部品補修取替費として金十九万八千八百六十円を支払い、同月十日同市大正区三軒屋浜通三丁目五番地木村省吾商店に対し、船具代金として金四十五万三千八百二十円を支払つたこと(以上支払金は合計二百四十万二千六百八十円に達する)が認められる。尤も前掲甲第三号証、当裁判所において成立を認める乙第十六号証及び原告本人尋問の結果によると、右三幸丸の被害後間もなき昭和二十五年十一月乃至十二月当時の損害復旧見積費は金七十万二千余円乃至金百十万円であつたことが認められるが、同船が少くとも昭和二十七年六月二十三日の前記大阪高等裁判所の刑事判決確定まで差押の対象となり、船長たる原告に還付されなかつたことは当事者間に争がないから、原告が同船を自己の自由に処理し改修し得たのは、早くとも右還付以後でなければならず、しかも右の見積額と現実の修理所要額の差、即ち修理費の増加の原因は、物価の自然騰貴によるものであることは、原告本人尋問の結果により明白であるから、被告は右の如く、自然増加した損害であみ前記支払済修理費用金二百四十万二千六百八十円につき、これが賠償の義務あるものといわねばならない。そうして本件においては被害者たる原告が、自らの過失により避難可能の機を逸したものと認むべき証拠はないから被告の過失相殺の抗弁も理由がない。そうすると、右損害額の内金二百九万三千六百五十円と、これに対する本件(昭和二七年(ワ)第三四二〇号事件)訴状送達の日の翌日であること記録に徴し明らかである昭和二十七年十月八日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を国家賠償法によつて求める原告の請求は正当というべきである。(従つて、右同一の損害賠償を民法第七百十五条によつて求める請求については、判断を省略する。)

第二、

一、次に本件船舶三幸丸が昭和二十五年八月十日、大阪市水上警察署員の差押をうけ、次いで共同捜査に当つた大阪税関の監視部職員たる玉田正雄に引継がれて、同人が差押担当者となつたことは、前記のとおりであり、原告及び訴外岩後繁信ほか三名に対する関税法違反被疑事件が大阪地方検察庁へ引継がれ、これと共に、三幸丸の差押事務も同庁担当検察官に引継がれたが、同庁において取調が進められた結果、原告については同年八月三十日犯罪の嫌疑なしとの理由により不起訴処分に決定したこと、然し乍らその後も三幸丸の差押は解かれず、訴外岩後繁信に対する関税法違反被告事件の第二審判決確定迄差押が継続されたこと、右訴外人等に対する右事件を取扱つた第一審の大阪地方裁判所では右船舶が訴外岩後繁信の占有に移つていたものと判断し、右船舶を没収する旨の判決言渡をなしたが、右判決は控訴により確定せず、第二審の大阪高等裁判所においては、右訴外人その他の共犯者等に本件船舶の占有が移転した事実が認められないとして、昭和二十七年六月九日右船舶を没収する言渡はこれをなさず、右判決は同月二十三日確定したことは当事者間に争がない。

原告は、右大阪地方検察庁において、事件担当検察官大坪貞五郎が、右船舶を、それが犯罪供用物件ではないのに差押えたこと、又は、犯人岩後繁信との関係において、没収物件とはなり得ないのに、原告が不起訴処分になつた後も差押を継続し、原告に還付しなかつたことは、同検察官の過失であると主張するので、案ずるに、刑事訴訟法第二百十八条、第二百二十条、第二百二十二条、第九十九条によれば、検察官は犯罪捜査及び公訴維持の必要があれば、犯罪の証拠物及び没収すべき物と思料するものを差押えることができるから、没収刑の対象物たる犯罪供用物件(刑法第十九条)に厳密に該当しなくとも、いやしくも犯罪の証拠物と見られるものは、その所有者、占有者の如何に拘らず差押を為し、又はこれを継続することは、権限濫用に亘らない限り適法であるというべく、密輸出という犯罪行為が行われたと見られる場合に、犯罪被疑者その他の者が搭乗した船舶が、犯罪事件の証拠物と目されることは当然であり、本件被疑事件発覚当時原告及び岩後繁信が三幸丸に乗船していたことは原告の自認するところであるから、三幸丸の差押は、先ず何よりも犯罪証拠物件の差押として固より適法であつたものといわねばならない。そしてそれが原告の不起訴処分の後も継続されたことについても、それが岩後繁信に対する密輸出被疑事件の証拠物件に対するものとして為されたことは、見やすいところであるから、それが没収刑の対象たり得るもの、即ち刑法第十九条第二項によれば、犯人以外の者に属しないもの(犯人の所有物又は所有者不明の物)、旧関税法第八十三条第一項によれば「犯人の所有又は占有に係るもの」、でない場合においても、右差押継続は、これまた何等不法のものとはいえない。尤も刑事訴訟法第二百二十二条、第百二十三条第一項によれば、「押収物で留置の必要のないものは、被告事件の終結を待たないで、決定でこれを還付しなければならない」とされているが、前記関税法第八十三条第一項は刑法第十九条と異り、犯罪行為の用に供した船舶で、犯人の所有又は占有に係るものは必要的没収の対象とすべく定められているから、被疑者又は被告人の占有した船舶と疑われる物件は、検察官においても、当然留置の必要のあるものとして、還付決定を為すべきでない(従つて、仮還付をすることも妥当でない)ことは極めて明白な事理であり、三幸丸がその搭乗者であつて、被疑者である被告人となつた前記岩後繁信の占有する物であつたか、又はその所有者であり、かつ自らにこれに乗船した原告の占有する物と見るべきであつたかは、前記岩後と原告との間の傭船契約と呼称された契約の効力即ちその内容の解釈如何に係る困難な法律的判断により初めて解決せらるべき問題であつたから、公訴の維持の立場から犯罪証拠物件の確保と、没収物件となる相当の可能性のあつた差押物保持の必要から、担当検察官が三幸丸の差押の継続を必要と判断したことは、何等同検察官の責めらるべき過失ということはできない。

それ故、三幸丸に対する差押及びその継続を違法として、その損害の賠償を求める原告の請求は、その余の点につき判断するまでもなく失当である。

第三、

以上の次第であるから、原告の本訴請求のうち三幸丸の保管についての過失に基く台風被害の損害賠償として被告に対し、金二百九万三千六百五十円、及びこれに対する昭和二十七年十月八日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による損害金の支払を求める部分は正当としてこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九十二条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条第一項、仮執行免除の宣言につき同条第二項を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 宮川種一郎 奥村正策 鍬守正一)

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